バッテリー・ディケイド その6:次世代電池の系譜——ナトリウムイオン・LMFPという「今すぐ使える未来」
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【本号の要旨】
本論|バッテリー・ディケイド その6では「次世代電池の系譜——ナトリウムイオン・LMFPという『今すぐ使える未来』」を論じる。「次は全固体」という一本道の物語を退け、化学系(LFP→LMFP、ナトリウムイオン)と電解質アーキテクチャ(液系→半固体→全固体)という、独立した二つの軸で系譜を読み解く。化学系の軸はさらに二段——LMFPはLFPの結晶構造を保ったままエネルギー密度を15〜20%引き上げる正極材の正統進化(浅い分岐)、ナトリウムイオンは電荷を運ぶキャリアイオンそのものをリチウムから置き換える資源分岐(深い分岐)であり、両者は2026年時点ですでに実装段階に入った「今すぐ使える未来」である。ただし化学系を変えても、LMFPは高純度マンガン精製の97%、ナトリウムイオンは生産能力の95%超が中国に集中するという同じ壁に突き当たる。半固体は既存の液系製造ラインを流用できる「もっとも近い次世代」、全固体は350〜500Wh/kg級に届きうる最大の上振れだが量産の歩留まりという最高難度の壁を抱える——その帰趨を左右するのは材料そのものより乾式電極のような工程の学習曲線である、という視点を、2035年の市場地図(3つのシナリオ)とともに示す。
喫茶去|「静かで澄みきった十二年ぶりの上海」では、2014年以来12年ぶりに訪れた上海の記憶を綴る。EV・EVバイクの普及による街の静けさと、かつての大気汚染の記憶とは裏腹に澄みきった空気。完全キャッシュレス化のため空港から地下鉄に乗れなかった経験。南京東路をそぞろ歩き、租界時代の建物と近代的な高層ビル・巨大ディスプレイが混在する街並みを抜けて見た夜景から、坂の上の雲を見上げる国と下り坂を降りる国との対比を、肌で感じた記憶で結ぶ。
奥の間|「AI神々のオリンポス宮廷劇」では、AIの未来を語る狭いサークルの内側を描く。ペイジ、ブリン、ハサビス、アモデイ、ザッカーバーグ、アルトマン、ナデラ、アンドリーセン、フアン、ティール、ゲイツ、そしてマスク——中核12人を、能力開発にどこまで前のめりか、その力を統治する制度がどこまで必要と考えるか、という二つの軸に位置づける。ヒントン・サツケバー・カルパシーという技術者たちの系譜を補助線に置き、対立を「まったく異なる世界観の衝突」としてではなく「同じ狭いネットワークの中から分岐した対立」として読み解く。次号からマスク一人に焦点を絞る前に、彼が立つ座標そのものを確かめる回である。
【本論】
1. 「次の電池」を問う前に——二軸で読む系譜
次世代電池をめぐる報道は、しばしば「次は全固体」という一本道の物語で語られる。しかしこの整理は、分類の軸を混同している。
加えて、日本の読者に向けた注記を挟んでおきたい。世界の報道が「LFPの次」を論じる一方で、日本国内ではそのLFPそのものへの参入がいまだ緒に就いていない。日産は2024年、福岡県北九州市にLFP電池の新工場を計画し経済産業省の供給確保計画にも認定されたが、2025年5月、経営再建策「Re:Nissan」を理由に建設を断念している[R18]。パナソニックは高性能NMC系円筒セルに軸足を置き続け、車載用LFPを量産する国内電池メーカーはほぼ見当たらない——GSユアサの自社開発LFPも、展開は定置用(ESS)にとどまる[R19]。動いているのはむしろ完成車メーカー側で、スズキは新型EV「eビターラ」にBYD子会社製LFPパックを中国から輸入して搭載し、ダイハツも「e-ハイゼット カーゴ」にLFPを採用しているが、いずれも電池そのものの海外調達であり、国内製造ではない[R20]。「LFPの次」を論じる以前に、今日の主戦場である「LFPそのもの」への参入をどう立て直すかが、日本にとっての実際の課題である。
LFP・LMFP・ナトリウムイオンは、化学系の選択である。しかもこの軸は、深さの違う二段の分岐になっている。浅い分岐は正極材の置換——LFPの鉄の一部をマンガンに替えるLMFPは、電荷を運ぶイオンがリチウムのままの正統進化だ。深い分岐はキャリアイオンの置換——ナトリウムイオン電池は、電荷を運ぶイオンそのものをリチウムからナトリウムに替える。電解質だけを替えた電池ではない。イオンが替われば、正極(ナトリウム系層状酸化物等)・負極(黒鉛が使えずハードカーボン)・電解質(ナトリウム塩系)のすべてが連動して変わる、別系統の化学である。
一方、半固体・全固体は、主として電解質とセル構造のアーキテクチャ(電解質を液体にするか固体にするか)の選択である。二つの軸は同じ土俵に並ばない。半固体・全固体は、その中にLFP系もNMC系も内包しうるからだ。「LMFPと全固体のどちらが勝つか」という問いは、「車種」と「駆動方式」を比べるような問いである。
だから本号では、系譜を二軸で読む。
- 化学系の軸: LFP → LMFP(正極材の正統進化)/ ナトリウムイオン(キャリアイオンの置換=資源の分岐)
- アーキテクチャの軸: 液系 → 半固体(中間解) → 全固体(長期の候補)

基準点は、いまもLFPである。IEAによれば、LFPは2025年に世界のEV搭載電池の55%超を占めた[R1]。BloombergNEFの2025年調査では、平均パック価格はLFPが81ドル/kWh(約1.33万円/kWh)、NMCが128ドル/kWh(約2.10万円/kWh)。LFPはNMCより約37%安い(車載・定置を横断した化学系別の平均値である。円換算は日銀2026年7月24日スポット163.77円/ドル)[R2]。
つまり「次世代電池」とは、この安くて安全で長寿命な現行標準を、どの方向に超えるかの選択肢群である。エネルギー密度で超えるのか(LMFP、半固体、全固体)。資源制約で超えるのか(ナトリウムイオン)。この問いの立て方が、以下すべての土台になる。
なお、表題の「今すぐ使える未来」とは、LFPのような量産成熟を意味しない。研究室を出て、商用導入と量産立ち上げの段階に入った技術——という意味である。
ひとつ、統計上の注意を先に置く。IEAの化学系統計では、LMFPは現状LFPに内包されて集計されている[R1]。つまり公開データ上、LMFPの独立シェアはまだ見えない。「LMFPが存在しない」のではなく、「統計の粒度が市場の変化に追いついていない」。連載第1回で見た「ライトの法則」の世界では、統計が追いつく前に現場が動く。ここでも同じことが起きている。
2. LMFP——LFPの正統進化という「一列目」
LMFP(リン酸マンガン鉄リチウム、LiMnₓFe₁₋ₓPO₄)は、LFPの結晶格子内の鉄の一部をマンガンに置き換えたオリビン系である。仕組みは明快だ。鉄由来の約3.4Vの反応に加えて、約4.1Vに現れるマンガンの高電位反応を使えるため、組成による違いはあるものの、平均放電電圧はLFPより高い3.7V前後になる。同じオリビン骨格を共有しながら、エネルギー密度をおおむね15〜20%引き上げる余地がある[R3]。
すでに動いている。Gotion(国軒高科)のL600セルはセル240Wh/kg・4,000サイクルを公表する[R4]。
BYDの第2世代ブレードバッテリーは、公式発表ベースで第1世代比約5%のエネルギー密度向上、10〜70%を5分・-30℃でも20〜97%を12分という急速充電性能を掲げる(正極へのLMFP採用説は二次報道の域を出ないため、本稿では採らない)[R5]。LFPの弱点だった低温性能も改善する。-20℃での容量維持率は、LFPの60〜70%に対しLMFPは75〜90%とされる[R3]。
だが、課題も構造的である。LMFPでは遷移金属サイト(鉄+マンガン)の6〜8割をマンガンが占める組成が検討されるが(正極活物質全体の質量に占めるマンガンはx=0.6〜0.8でおよそ2〜3割)、マンガン比率を上げるほど密度は上がる一方、充電時に生じるMn³⁺がヤーン・テラー歪みという格子の歪みを起こし、マンガンが電解液へ溶出して負極を傷め、寿命を縮める。とくにマンガン比率の高い組成では電子・イオン伝導が低く、出力特性が課題になる。カーボン被覆、異種元素ドープ、粒径・結晶構造の制御、他材料との複合化といった対策で実用域に入りつつあるが、「LFPの安全とNMCの電圧を同時に取りにいくと、マンガン起因の劣化が顔を出す」——これがLMFPの難しさの中身である。
そしてもうひとつ、来週号(その7)への伏線を置いておく。LMFPは正極の遷移金属の主役をマンガンに移していく化学系である。マンガン鉱石自体は南アフリカ・豪州・ガボンに豊富だが、電池グレードの高純度マンガン供給は約97%が中国に集中する[R6]。EU域内にもベルギーの既存生産例はあるものの供給能力はごく限られ、新規の大型案件はまだ開発段階にある。LMFPという「今すぐ使える未来」は、資源の存在量ではなく精製の集中という別の壁を連れてくる。
3. ナトリウムイオン——「資源論」を解凍する電池
ナトリウムイオン電池(Na-ion)は、リチウムの代わりにナトリウムを正負極間で往復させる。基本構造はリチウムイオン電池と近く、製造設備の互換性が比較的高い。これが商用化の重要な前提である。
現在地は、この2年で大きく動いた。CATLのNaxtraは175Wh/kg、-40℃で公称容量の約9割維持、1万サイクル超を公表し、2026年に商用展開を本格化するとしている[R7]。米国ではPeak EnergyがJupiter Powerと、2027年納入の約720MWhにその後の4GWhの追加オプションを加えた最大4.75GWhの契約を結んだ(同社は「Na-ion史上最大級」と称する)[R8]。定置用(BESS)・寒冷地・エントリーEVという「エネルギー密度が最優先でない市場」から、実装が始まっている。
Na-ionの利点は三つある。第一に資源分散——リチウムを使わないことそれ自体。ナトリウムは地殻中でリチウムの千倍のオーダーで存在する。第二に低温性能。第三に、負極集電体に銅ではなくアルミを使えるため、0Vまで完全放電して安全に輸送・保管できることだ。
ただし、二つの但し書きを外してはならない。
第一に、「Na-ionは重要鉱物フリーだから安全」ではない。実用に近い化学系の多くはマンガンやニッケルに依存し、その加工は地理的に集中している。そしてIEAは、2030年時点でも公表済みNa-ion生産能力の95%以上が中国に集中すると整理する[R9]。リチウム依存を減らしても、中国依存が自動的に下がるわけではない。
第二に、コスト優位は「いま」ではなく「2030年代」の論点である。Nature Energyの2025年分析は、「技術進歩と市場条件がそろう一部のシナリオでは、2030年代に低価格リチウムイオンと競争できる可能性がある」という条件付きの評価を示した[R10]。
性能とコストを最終的に決めるのは、負極のハードカーボン(難黒鉛化性炭素)である。黒鉛の層間はナトリウムイオンには狭すぎるため、層間が広く閉鎖気孔を多くもつハードカーボンが不可欠になる。前駆体はココナッツ殻や竹などのバイオマス系と、ピッチ・樹脂などの合成系が競っており、この素材競争には日本企業の参入余地がある。東京理科大学の駒場慎一教授らは2011年に炭素負極と層状酸化物正極による常温作動のNa-ionフルセルを示し、2012年には鉄・マンガン・ナトリウムからなるレアメタルフリー正極を報告した[R11]——日本発の基礎技術である。基礎で先行し、量産で追い抜かれる。LFPで見た構図を、ここで繰り返すかどうかが問われている。
4. 半固体という現実、全固体という約束手形
アーキテクチャの軸に移る。
半固体には、業界統一の定義がない。一般には液分を大きく減らした固液ハイブリッドやゲル系を指す(液分比率などの数値基準は分類法ごとに異なり、統一されていない)。狙いは、液系より安全性を高めつつ、シリコン系・リチウム金属系の高性能負極を使いやすくし、300Wh/kg超へ届かせること。そして実装面の利点は、全固体に比べれば既存の液系製造設備を流用しやすい場合があることだ。
実装は中国が先行する。SAICはMG4の半固体版を量産の先行例として押し出し(同社は「唯一の量産半固体」と宣伝するが、NIOなど先行例があり、各社の「半固体・準固体・固体」の呼称も揃っていないため、この表現は採らない)、NIOの半固体パック原価は1.7〜2.2元/Whと紹介される——主流NMCよりかなり高い[R12]。液を完全にはなくしていない以上、発火リスクは根絶できず、コストも高い。当面は長距離プレミアムEVや新型航空モビリティなど、価格より性能の用途が主戦場になる。
全固体は、電解液を100%固体電解質に置き換える。ポリマー系・酸化物系・硫化物系に大別され、リチウム金属負極を使えれば350〜500Wh/kg級が視野に入る。各社の時間軸は——トヨタ×出光が2027〜28年導入を目標に硫化物系で提携し、出光は硫化リチウム(Li₂S)の大型パイロット装置を建設中。日産は横浜のパイロットラインで2028年度量産を目標に掲げ、ホンダも栃木にパイロットラインを開設。Samsung SDIは2027年量産を掲げ、QuantumScape・Solid Power・ProLogiumが試作・デモラインを進める[R13]。
だが2026年時点の論点は「性能が良いか」ではなく「量産できるか」である。固体電解質のイオン伝導、正極との界面抵抗、積層圧の管理(圧力不足では固体同士の接触が失われ界面に空隙と抵抗が生じ、高圧を維持する機構は重量・コストを増やし、条件次第でリチウムの局所侵入や機械的損傷を助長する)、硫化物の吸湿性ゆえの水分管理、薄膜化と歩留まり——これらが同時に解けないと量産優位は成立しない[R14]。
ひとつ、見落とされがちな工程革新を挟んでおきたい。乾式電極(ドライプロセス)である。現行の湿式塗工は、有害で高価な溶媒に材料を溶かし、50m級の乾燥炉で蒸発させる。乾式は溶媒を使わず、粉体を圧着して自立膜を作る。乾燥炉と溶媒回収を丸ごと省けるため、テスラは工程エネルギーを70%超削減できる可能性を示してきた。そして2026年1月、同社はオースティン工場で負極・正極の双方を乾式化した4680セルを生産中と公表した(稼働率・歩留まり・セル全体でのコスト削減幅は非開示)[R15]。全固体では固体電解質と活物質の接触を改善する効果も報告されている。全固体の成否は材料だけでなく、この種の工程の学習曲線にかかっている——連載第1回のライトの法則が、ここでも主役である。
まとめれば、半固体は「もっとも近い次世代」、全固体は「もっとも大きな上振れ余地と、もっとも高い製造難度」。そして重要なのは、半固体がそれ自体で市場を形成し、結果として全固体の普及を遅らせるシナリオも十分ありうることだ。橋渡しのつもりの技術が、橋の上に住み着くことは、技術史では珍しくない。
5. 2035年の市場地図——三つの読み筋
2026年時点の市場は三層で読める。LFPはすでに巨大産業(量産成熟)。Na-ionは中国中心の立ち上げ局面。半固体は中国で初期量産。全固体は日韓米欧の試作・デモ段階。
そのうえで、2035年の新規EV搭載電池シェアについて、三つのシナリオを点推定で示す。これは公表データを踏まえた筆者のシナリオであり、市場予測ではない*読み筋の相対関係を見るための見取り図として使ってほしい。
化学系とアーキテクチャのシェア(2035年・筆者シナリオ、各行合計100%)

定置用(BESS)では、Na-ionの比率はEVより高くなる可能性が高い。エネルギー密度の要求が緩く、寿命・安全・完全放電輸送の利点がそのまま効くからである。
この地図から引き出せる実務原則は三つある。
第一に、「LFPの改善が止まる」と仮定しないこと。 神行系の超急速充電(10分で数百km級)が示すように、液系LFPの最適化はまだ続いている[R16]。次世代技術の事業計画は、動き続けるベンチマークとの競争である。
第二に、「化学系を変えれば中国依存が下がる」と考えないこと。*LFP正極材とセルのそれぞれ98%超[R17]、Na-ion能力の95%以上[R9]、電池グレード高純度マンガンの約97%[R6]——どの分岐を選んでも、精製・中流の集中という同じ壁に突き当たる。これが来週号「資源循環の地政学」の主題である。
第三に、半固体と全固体を別々の学習曲線として見ること。「全固体までのつなぎ」と括ると、半固体が独自の市場を作る可能性も、全固体が歩留まりで停滞する可能性も、どちらも見誤る。
「今すぐ使える未来」は、LMFPとナトリウムイオンである。全固体は、約束手形としては世界最大級だが、換金日はまだ確定していない。事実として、日本では全固体への政策的・産業的期待が大きい一方、LFP・LMFP・Na-ionの量産セル市場では中国勢が先行している。約束手形に賭けながら、今すぐ使える未来からの現金収入がまだ細い——この非対称にこそリスクがある、というのが筆者の評価である。長期技術への投資と並行して、すでに立ち上がりつつある化学系への産業参加をどう確保するか。それが次号以降の問いになる。
三点要約
1. 次世代電池は一本道ではない。化学系(LFP→LMFP、Na-ion)とアーキテクチャ(液系→半固体→全固体)の二軸で並行進化しており、この軸を混同すると技術評価を誤る。
2. LMFPとナトリウムイオンは2026年時点で実装が始まった「今すぐ使える未来」。ただしLMFPはマンガン精製、Na-ionは生産能力の95%超が中国集中——化学系を変えても供給網の壁は残る。
3. 半固体は既存ライン流用でもっとも近い次世代、全固体は最大の上振れと最高の製造難度。勝負は性能ではなく歩留まりと工程(乾式電極)の学習曲線で決まる。
注目指標
- BNEF平均パック価格:LFP 81ドル/kWh vs NMC 128ドル/kWh——LFPが約37%安い(2025年・化学系別平均)【一次確認済】
- IEA:2030年時点の公表済みNa-ion生産能力の95%以上が中国(既設・公表済み計画ベース)【一次確認済】
- 電池グレード高純度マンガン供給の約97%が中国、EU域内の既存生産はごく限定的【一次確認済:JRC】
- テスラ:負極・正極とも乾式電極の4680セルをオースティンで生産中(2026年1月公表)【一次確認済】
- 全固体の目標時期:トヨタ×出光 2027〜28年市場導入/日産 2028年度投入/Samsung SDI 2027年量産(いずれも「目標」であり実現済みではない)【一次確認済:各社公表】
参考文献
本論で引用・参照した文献の一覧は、別ページ(Google Doc)にまとめています。
喫茶去|静かで澄みきった十二年ぶりの上海
上海を訪れたのは2014年の風力発電の会議以来12年ぶりだった。中国を訪れるのも2019年秋の深圳以来7年ぶりとなる。
かつては、ほぼ毎年のようにこの国を訪れていた。それがコロナ禍もあり、足が遠のいていた。近年の中国は、変化の速度が加速している。だから今回の7年や12年という空白は、自分が思っていた以上に大きな時間だったと、まるで浦島太郎のように思い知らされた。
まず驚いたのは、街の静かさだった。バスはほぼすべて電気自動車、クルマもほぼ半分くらいだろうか。バイクはほぼすべて電動で、街中でエンジン音がほとんど聞こえてこない。街中で小鳥のさえずりが耳に入るほどだ。
かつて上海を訪れたときには、大気汚染がこの街の深刻な社会問題として語られていた。マスクなしでは息苦しさを感じるような日もあったと記憶している。ところが今回歩いてみると、それがまるで嘘だったかのように、空気が澄んでいた。夜景に浮かぶ遠くの高層ビルの輪郭までくっきりと見えている。12年という時間のあいだに、この街の呼吸そのものが変わってしまったらしい。
支払いは完全にスマホ決済になっている。上海空港に降り立ってそのまま地下鉄に乗ろうとしたところ、日本であらかじめ開通させておいたはずの決済アプリが、2つとも改札で弾かれた。地下鉄には乗れず、何とかタクシーに乗り込んだ。道ばたの小さな屋台でさえ、現金はまったく通用しない。
夜、日本からご一緒した皆さんと夕食を終えて、そのまま流れで南京東路をそぞろ歩くことになった。19世紀の租界時代から残る歴史的な建物と、近代的な高層ビルや巨大なディスプレイとが、隣り合ってそびえていた。歩道は身動きが取れないほどの人で埋まっていた。押し合うようにして歩く人波を抜け、その突き当たりまで来たとき、川を挟んだ向こう岸に、上海のファイナンシャルセンターの高層ビル群が夜の中に浮かび上がって見えた。

黄浦江越しに見た上海ワールドフィナンシャルセンター(上海環球金融中心)
その光景をしばらく眺めていた。あれだけの人混みの中で、誰もが前や上を向いているように見えた。坂の上の雲をひたむきに見上げている国の人々と、下り坂をそろそろと降りている国の私たち。すれ違う人々がまとう空気の違いを肌で感じた。
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【奥の間:文明の燭洞幾】AI神々のオリンポス宮廷劇——思想としての対立、対立としての思想
「燭」はろうそくで暗闇の一点を照らし出すこと。「洞」は穴を貫いて深層を見通すこと。「幾」は『易経』の語で、変化の極めて微かな萌芽——肉眼には見えない転換の兆しを指します。「萌芽を照らし出し、深く貫いて読む」という知的営みを、この場でともに続けていきたいと思っています。
本論(広場)が「何が起きているか(What)」を論じる場だとすれば、奥の間は「なぜそうなのか(Why deeper)」を掘り下げる場です。エネルギー・文明・政治・AI・歴史——これらを縦横に使いながら、現在進行形の転換の深層を透視していきます。
今号の奥の間:AI神々のオリンポス宮廷劇——思想としての対立、対立としての思想
前号では、2030年から2040年のAI未来シナリオを検証し、その多くが米国のフロンティアAI企業、安全研究者、予測コミュニティという驚くほど狭いサークルから供給されていることを確認した。では、未来を語るその人々は、何を信じ、どこで対立し、誰と結びついているのか。7月27日号で短く触れたマスクとラリー・ペイジの断絶を入口に、今号ではサークルそのものの布置図を描く。



